先代の仕事
蝋型 鳳凰鉄瓶(個人蔵)
初代 角谷 巳之助 かくたに みのすけ (明治2年~昭和20年)
角谷家は、大阪の深江で代々、宮大工の家系でしたが、明治18年頃、初代が鋳物の魅力にひかれ鋳物師としての道を歩みはじめました。主に蝋型鋳造を得意とし、鉄置物や鉄瓶を多く制作しました。
大正14年のパリ万国博覧会では鋳鉄製の燭台を出品し好評を博しました。
八尾 安養寺の鋳鉄弘法大師像
祖父の巳之助は信仰厚く「多聞山 安養寺」(八尾市恩智中町)に自作の鋳鉄製の弘法大師像を
昭和9年に奉納しました。像の高さは50センチほどでしょうか。
右手が破損していたものを父一圭が昭和59年に修復しました。
云われは像の前の顕彰碑にあります。
その時の修復では粘土で手の原形を作り、型取りして鋳造し、取り付けたようです。
素焼きの原形が我が家に残されています。
巳之助の銘と顕彰碑
リンク集
淀川河川事務所(枚方市)
祖父が16歳の時に被災した明治18年の大洪水の詳細が解説されています。
曽祖父の善次郎と被災した鋳物工場の修繕に行き、そこで見た鋳物の仕事に、こころ惹かれ、鋳物の道に進むことになりました。
立命館大学 歴史都市防災研究所(京都市)
学術雑誌「京都歴史災害研究 第22号」の【大阪市東成区深江で見つかった自然災害伝承碑について】の中で
祖父 角谷巳之助が描き表した「明治18年深江村絵図」が掲載されています。
【関連記事】 日本経済新聞より
「名工出世譚」(幸田露伴・著 /青空文庫より)
祖父が生きた明治初期の大阪の鉄瓶作りが描かれ、生活の中で鉄瓶が必需品だった頃の雰囲気が伝わってくるようです。
唐銅蓋の色付けとツヤ出しに用いる鉄漿(オハグロ)についての記述があり、興味深いです。
和銑 相老松図真形釜(角谷鋳金工房蔵) 花喰鳥文白銅鏡(深江郷土資料館展示)
二代 角谷 一圭 かくたに いっけい (明治37年~平成11年)
幼少の頃から父のもとで鋳物作りを手伝い初め、21歳の時に大阪府工芸展に出品した鉄瓶が受賞し、本格的に創作活動に打ち込みはじめました。
日本伝統工芸展では高松宮総裁賞、朝日新聞社賞を受賞、昭和51年に勲四等瑞宝章を賜り、昭和53年には国の重要無形文化財保持者(茶の湯釜)に認定されました。
また、和鏡の研究に熱心に取り組み、優美なヘラ押し文様に情熱を傾けました。
略 歴
1904(明治37年)
大阪に生まれる(本名 辰治郎)
1947(昭和22年)
昭和天皇 大阪府行幸の際 献上の釜を謹作
1958(昭和33年)
第5回日本伝統工芸展 高松宮総裁賞「海老釜」(東京国立近代美術館蔵)
大阪府芸術賞
1961(昭和36年)
第8回日本伝統工芸展 朝日新聞社賞「独楽釜」(東京国立近代美術館蔵)
1974(昭和49年)
著書「釜師 茶の湯釜のできるまで」(ナニワ社)刊行
1976(昭和51年)
勲四等瑞宝章 受章
1978(昭和53年)
重要無形文化財保持者(茶の湯釜)に認定
1984(昭和59年)
文化庁工芸技術記録映画「茶の湯釜 角谷一圭のわざ」製作 「馬ノ図真形釜」(文化庁蔵)
1999(平成11年)
永眠
所 蔵
国立工芸館(石川県金沢市) 「海老釜」「独楽釜」「末広釜」「平丸釜」
神宮美術館(三重県伊勢市) 「白銅松喰鶴文蓋繰口釜」「桜文様透木釜」
大阪歴史博物館(大阪市中央区) 「瑞花双鳳文八稜鏡」(鋳鏡製作資料)
九州産業大学美術館(福岡市) 「春日野釜」
清荒神清澄寺(兵庫県宝塚市) 「三辨宝珠宝鏡」 「蓬莱図繰口釜」
芦屋釜の里(福岡県遠賀郡芦屋町) 「野道の草図肩衝釜」
ポーラ伝統文化振興財団(東京都品川区) 「馬ノ図真形釜」
人間国宝美術館(神奈川県湯河原町) 「千羽鶴図真形釜」
細見美術館(京都市左京区) 重要文化財「霰地楓鹿図真形釜」の鳥居の摘みの共蓋
東大阪市 「秋草地紋真形釜」 「月猿図広口釜」
東大寺 「金光明陽鋳撫肩釜」
リンク集
NHKアーカイブス あの人に会いたい(2007年)「安心しているとペケがでる」 動画(3分)が収録
文化遺産オンライン ・ 文化遺産データベース 「馬ノ図真形釜」と制作動画(10分)が収録
中谷宇吉郎 雪の科学館(石川県加賀市) 雪のデザイン展(1996年)に出品した「雪花図撫肩釜」が館通信に収録
朝日新聞出版 「週刊 人間国宝」64号[工芸技術 金工7]に年譜・作品が収録
月刊 文化財
昭和59年8月号(文化庁/監修・第一法規/発行) 表紙に「独楽釜」(1961年作・国立工芸館蔵)が掲載
深江郷土資料館(大阪市東成区の一圭、居宅近くに設立された菅笠と茶の湯釜、和鏡の資料館)
祖父や父をはじめ、おじの與齋(与斎・よさい:1902~1979)、莎村(しゃそん:1911~1987)の作品を展示
復興菅田(すげた)も併設され、地域の方々により運営されています